地方(いわき)での建築・デザインを取り巻く環境を内側から見てみます。設計事務所の仕事は設計能力よりも日常への洞察と思慮で成り立っていること、図面の余白に書かれた見えないメッセージなどを紹介します。
建築雑感

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2008年06月10日

■何が伝えられるか・・?
080608_1449~0001 名著「粗い石」

前回、若い人達へのことを書いた。それは多分、今単位を受け持っている高専の学生達のことがクロスしているからだろう。
その授業の方だが受持ちの半分が終わって、いよいよ現代建築論の授業に入る、そして先ず1回目を安藤忠雄氏とした。建築作品の解析から入って、氏が読んで影響を受けたとされる「粗い石」についても触れようと思っている。難解な本である。信仰と建築について書かれている。前書きで翻訳者が華々しい造形に走るポストモダン建築家について、「何よりも先ずそれがひたすらな信仰によって建てられたことを忘れて、徒らにポスト・モダニズム張りの建築理論の種にするのは、奈良や京都の古寺を前に、無信仰な博学ぶりをひけらかすのと同じ空しさに陥ることに他ならないのではなかろうか。」と述べている。耳が痛い・・。
ここで紹介したいのは、若い人達に対してである・・安藤忠雄建築はマスコミやミーハーな賛美論に振り回されずにこの著書を読むがよい・・といいたい。百の論評よりも雄弁にこの本が、安藤建築の本質を語るはずだ・・安藤氏のコンクリートが表現するものが解かるはずだ・・。

028光教会 光の教会042カテドラル01 聖カテドラル大聖堂

さて授業は、安藤氏の通常の紹介ではつまらないと思い、氏の「光の教会」と丹下健三氏の「聖カテドラル大聖堂」を、そして氏の「サントリーミュージアム」とケンブリッジ・セブンの「海遊館」を比較して紹介した。作品選択は私の主観による。壁にうがたれた十字架と天井に印された十字、建築という造形の持つ象徴性。そして海遊館とサントリーミュージアムに見ることができる、フォルムと色彩に関する明らかな歴史の差・・私は、今でも海遊館を見たときのショックが忘れられないでいる・・日本人には無い彫塑の感覚。

071サントリーと海遊館サントリーミュージアムと海遊館

さらに、大胆にも「フォートワース現代美術館」と前回紹介した谷口吉生氏の「法隆寺宝物館」もである。両者に共通するユニバーサルなデザイン・・ポストモダニストなど歯牙にもかけていない。谷口氏の土門拳美術館を知っている人にはなお、理解できるはずだ。

123フォート28 フォートワース現代美術館」137法隆寺 法隆寺宝物館

たった30~40年くらいで、1冊の本から出発して長屋の設計でデビューし、コンクリートに独自の美学を確立し、最近では(フォートワース)そのコンクリートをガラスのカーテンで覆った、コンクリートを凍結した・・。安藤氏は自身がいうとおり、今でもコンクリートと「真剣勝負」をし続けているのであろう、ミースがレンガ、レンガといい続けたように・・若い人達には、そこから建築に対する「真摯さ」を学んで欲しい・・。
そして、比較に出した作品ともども、本物の建築の「凄み」と「豊かさ」を・・。

・・私は学生に、どこまで、何を、伝えきれるか?
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2007年10月06日

■常識論では見えないもの
P6010041.jpg

この写真は最近竣工した会津学鳳高校の工事中の写真。(今、美しいその容姿が会津若松の千石通りに望むことができる。このような思想のある建築で学ぶことができる生徒は幸せだと思う。)
設計は全国対象のプロポーザル競技で選ばれた原広司氏。我々も当時、プロポーザルに挑戦したが全国版には当然負けた。そして氏の提案書から多くを学び、その後の講演会や公開ミーティングにも出席した。

最近、この建物に様々な風評が起こっている。工事中にも、トイレに石材を採用したら贅沢だ・・と注文が入り、一部の建物は若干高さを違えて建築し改善した。そして竣工したら今度は中を見て、使い勝手の評価が起こっているとのこと・・。
工事の間違いは誠心誠意、よりよく直すしかない・・。しかしそれ以外のことは、なにおかいわんや・・である。トイレに石を張るのは設計者の子供たちの教育に対する建築思想だ。その図面の余白の部分を理解しない横並びの常識論が画一的な学校建築を産み、それから脱皮するために今回のプロポーザルがある。常識論では見えないものがある・・。
使い勝手のことも、何故今、評価するのだろう。今、評価する人は何を基準にできるのか。基準は自身の経験というならばこれもまた自身しか「見ていない」話しなのだ。見えないということは、理解できないということになる。・・そこで学ぶ生徒たちのことも考えて、もう少し思慮をもっていただきたいと思う。「プロポーザル」とは「提案する」ということなのです。提案されているのは、プロポーズを受けているのは、これからそこを使う新しい時代の生徒たちなんですよ!ここのところを誤解してはいけない。プロポーザルで選ばれた設計者を信頼し、生徒たちに任せてみたらいいでしょう。

原氏の設計した京都駅ビルも計画当初は、景観論争があってかなり批評されたと記憶している。今では、ニューヨークのグランドセントラルステーションのような風格すら感じられる、市民に愛される空間になっているではありませんか・・。
私の知る限りでは原氏は、自らの考えと資金で世界の集落を研究し、浄財で世界に数億人といわれる住宅困窮者のための住まいを提案している人である・・。その成果として、[ディスクリート]:個が集団の中にあっても、個の存在を失わず輝くこと・・を唱え、この高校もその建築思想でできている。恐らくその思想は、建物が使われ始めて数年後にこの高校にも表出し、ここで学ぶ21世紀を担ってゆくことになる生徒たちへ図面の深奥にあるメッセージを伝えることだろう・・評価はそれからでよい・・。

2007年09月26日

■設計事務所のお月見
070925_1708~0001.jpg

ノアの事務所では必ずお月見をする。月見だけでなく花見も大事にする。というより、年間を通じて日本の歳時を大事にしている。それは設計をしてゆく上で必要な情緒だからだ。パソコンと法律と専門知識だけでできる仕事ではないのを時々確認するためでもある・・。
この秋もいい月を皆で見ることができた。団子とススキを準備し、あけびや葡萄・芋を供えサポーターの人たちが持参した栗やおやきもそろった・・そして酒と・・・そして四方山話になっていく・・・。

今回の法改正は天下の悪法ではないか・・いやそうでもない、それだけこれまでがいい加減だったのだ・・これは本当の目的は弱小事務所の淘汰にあるのではないか・・

そういえば有名建築家や大手設計事務所が今回の騒動に意見を殆どコメントしていない・・それはそうでこのままゆけば将来彼らにとっては有利なことばかりではないか・・例えば、デザインビルドやゼネコンとのタイアップなど小規模事務所ではできない手法が伸びる可能性が高い・・

コンペやプロポーザルに影響はないだろうか・・今年は完全な公開が少なくて限定が多いのは仕事が少なくなるのを見越した種々の団体の囲い込みが始まったのか・・

この状況で各種の設計関係の団体や士会が本来出すべきメッセージがあるのではないか・・いや出しにくい、出せない背景があるのではないか・・設計と監理が職能として自立できるチャンスだったのに何故こんなことになってしまったんだろう・・

いずれにしても現在でも相当仕事が減っているし、建材価格も下っている・・着工件数も50%を切る勢いで低下しているそうだ・・年末から来年にかけて建築不況がくるのは避けられないようだ・・

何か明るい話がないか・・そういえば先日フェルメールの「真珠の耳飾りの女」の映画をやっていた、あれは良かった、特に光の美しさが画面
全体ににじみ出ていた・・

光と映画といえば、黒澤映画がテレビドラマで最近リメイクされている
・・黒澤では「蜘蛛の巣城」が傑作だ・・いやいややはり「七人の侍」だ、白黒はいいねえ・・

白黒ならばヒッチコックの「サイコ」が傑作だ・・それじゃこれまでの一番の映画は私的に何か・・

「ベンハー」だ・・「駅馬車」だ・・いや「荒野の決闘」だ・・「荒野の用心棒」だ・・テレビ版「コンバット」もいい・・最近もので「マトリックス」・・「ローマの休日」がいい・・「老人と海」だよ・・「羊たちの沈黙」には勝てない・・「12人の怒れる男たち」だって・・・

酒のゲップがでるほどに、明日の頭痛を予感しながら、あれこれとつべこべと・・・。
夜が更けて月も昇りきった・・そういえば衛星「かぐや」が孤独に月に向かっているんだった・・頑張れ !「かぐや」 !。

2007年08月13日

■建築 歴史 保存
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12日はまた山形で歴史建築景観のシンポジウムに参加してきた。写真は会場になった「文翔館」、山形歴史たてもの研究会の主催である。連日の山形行であったが、一日、あいだがあったので助かった。
この時一緒にシンポジウムに参加した、横浜の「よこはま洋館付き住宅を考える会」の活動は新鮮なものだった。興味のある方は是非、この会のHPをご覧になるとよい。

さて、このような会議で必ず聞かれる挨拶がある。それは建築関係者からであるが、・・・古い建物が残ると自身の仕事が少なくなるというジレンマがあるのですが・・・というハニカミの挨拶である。
本当にそうだろうか。
光が闇を必要とするように、都市の混雑は巨大な公園や緑地があるから成立するように、新しい建築は古い建物があるから存在の基盤を保つことができると私は考える。
総体では、古=新=まち ではなく 古+新=まち でしょう。

保存か改築か、という議論はその時のそのまちの民度と文化の力の問題である。改築でもよいのである、保存に優る計画であれば。そして、改築であってもその時の議論は新たな建物の栄養になり土壌になると私は
思っている。良い改築(変革)ができなければ、見つかるまで保存しておいて考えればよいのでしょう。
そして少子高齢社会はカタチばかりのものづくりばかりを、それほど急ぐ必要のない社会であるともいえる。(ここで先ほどの横浜の事例が参考になる。)
改築が景観の変革であれば、良い変革は良い土壌や文化なしには生まれない。京都や東京は、その土壌があるから幾たびかの戦火と焼土を超えて生まれ変わり又は変化しつづけても愛され続けるのであろう。
歴史上重要な変革は歴史あるまちでしか起こっていないのだ。
醸成されたまちの文化や力は、むしろ新陳代謝を必要とするのかもしれない。そこに誤った代謝を持ち込むことが間違っているのだ。

建築をすることは、古い建物を壊して新しい建物を造るだけのことではないのでしょう。その地域と土壌と文化に新たにプレゼンテーションをすることなのです。そのプレゼンが優れていれば、過去の歴史にオーバーレイすることが許される。過去の歴史や文化に対する思慮と分別の問題なのだ。

設計やデザインに教養が必要であると云われる所以である・・。

2007年08月11日

■ユニバーサルデザイン
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8月9日から10日まで、いわき市のユニバーサルデザイン指針を展開するためのパンフレットやマニュアルを作るための視察で、山形から仙台方面を廻ってきた。
写真はその事例で、名取のダイヤモンドシティと仙台空港のもの。ダイヤモンドシティの床はカーペットである。歩きやすい・・。本当に、誰がショッピングセンターの床はPタイルと決めたのだろう。
車椅子マークのうちタクシー乗り場は仙台空港で買い物補助のほうはダイヤモンドシティのものである。数ある事例のうち何故この2枚と床の写真を選んだかというと、特に「優しさ」「さりげなさ」をこの写真に感じたからである。
もはや車椅子マークは身体障がい者を特定して指すものではなく、高齢者を含めた困っている人を示すもの(そこには外国人も含まれる)となってきているのが感じられる。それくらいユニバーサルデザインも熟成されてきたということだろうと思う。
やはり、ユニバーサルデザインはバリアフリーとは違うのである。後から対処するのではなく、最初から気づかうのだ。
以前の「建築の色彩」のコラムでも書いたが、設計やデザインがこれほど社会に影響を与える仕事でありながら、こんなことが今更に理解されなければならないとは、よほど20世紀の建築やデザインはものづくりではなくもの売りだったのだろう。
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建築基準法の改正に右往左往しているところではない。建築やデザインの現場では、もっと重要な変革が始まっているのだ。
ユニバーサルデザインの第一人者である古瀬先生が云われるとおり、デザイナーや設計者は率直に過去の仕事を反省することから始めなければならない・・・。

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