地方(いわき)での建築・デザインを取り巻く環境を内側から見てみます。設計事務所の仕事は設計能力よりも日常への洞察と思慮で成り立っていること、図面の余白に書かれた見えないメッセージなどを紹介します。
2008年06月

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2008年06月28日

■アンネのバラ・・
小さき群教会0001
 アンネのバラ 
小さき群教会0002
聖イエス会 小さき群教会

このブログに来られる方は、「アンネのバラ」というのがあるのをご存知だろうか。
上の教会は、当社が4~5年ほど前に設計監理したプロテスタント系の教会で、6月20日から23日まで「アンネ・フランク展」が開催され一般公開していた。新聞の小さな記事で気がついて、ご挨拶がてら見学してきた。

600万人の犠牲・・ホロ・コースト・・アンネの屋根裏部屋で書かれた日記・・「ダビデの星」が象徴するユダヤの歴史・・脱出を助ける人々・・ナチの前で理性を失わなかった人々・・そしてアウシュビッツの悲劇・・
自分の内面と向き合わなくてはならない展示だった。そして日々の業務の喧騒に溺れている右脳が、久しぶりに浄化された。先のブログに書いた古関裕而記念館を見た時と同じサディッションだ・・。
奥様は、「若い人たちに見て欲しいのですが思ったよりも若い人が少ないのです・・」とおっしゃていた。決して風化させてはならない歴史がある。

・・かつて夏のとりわけ暑い日に、この教会の牧師さんと京都の本部や丹波の教会に図面をかかえて行ったことが思い出される、そして、そこに「アンネのバラ」があった・・。
そのバラが今、この小さき群教会に咲いている。(この教会はいわき市泉町にあります。見学される方はマナーを守ってどうぞ。)

息苦しいほどに純粋でどのような状況でも明日への希望を失わないアンネの文章からの「願い」・・このようなメッセージを発信する人たちがいること・・そして少しの部分だが建築という職業のためその質の建物と人々に関われた自分・・そう「赤と黒」の両者にまたがる仕事なのかもしれない・・建築は世俗の仕事だ、特に何かの哲学を持たない近代建築は俗にまみれてしまう。その述懐を常に抱きつつこの仕事に挑まねばなるまい・・眠っている土を掘り返し、木を切り、岩を砕き、生活環境を機械的にコントロールし、大量のCO2を排出し・・。それが許される理由は、唯一、自然の産物を犠牲にした建築が人のために何かを生み出すことができ、犠牲にした自然の分に見合う豊かさや優しさを社会や環境に還元できる場合だけだろう・・。

霞ヶ関ビルを初め数々の超高層ビルを設計し、ある吹雪の日に突然、自然と近代建築の関係にショックを受けて雪の中に立ち尽くし、その後設計思想を180度転換して地域再生と環境共生に向かった池田武邦氏(ハウステンボス会長)の生き方が脳裏を走る・・。
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2008年06月10日

■何が伝えられるか・・?
080608_1449~0001 名著「粗い石」

前回、若い人達へのことを書いた。それは多分、今単位を受け持っている高専の学生達のことがクロスしているからだろう。
その授業の方だが受持ちの半分が終わって、いよいよ現代建築論の授業に入る、そして先ず1回目を安藤忠雄氏とした。建築作品の解析から入って、氏が読んで影響を受けたとされる「粗い石」についても触れようと思っている。難解な本である。信仰と建築について書かれている。前書きで翻訳者が華々しい造形に走るポストモダン建築家について、「何よりも先ずそれがひたすらな信仰によって建てられたことを忘れて、徒らにポスト・モダニズム張りの建築理論の種にするのは、奈良や京都の古寺を前に、無信仰な博学ぶりをひけらかすのと同じ空しさに陥ることに他ならないのではなかろうか。」と述べている。耳が痛い・・。
ここで紹介したいのは、若い人達に対してである・・安藤忠雄建築はマスコミやミーハーな賛美論に振り回されずにこの著書を読むがよい・・といいたい。百の論評よりも雄弁にこの本が、安藤建築の本質を語るはずだ・・安藤氏のコンクリートが表現するものが解かるはずだ・・。

028光教会 光の教会042カテドラル01 聖カテドラル大聖堂

さて授業は、安藤氏の通常の紹介ではつまらないと思い、氏の「光の教会」と丹下健三氏の「聖カテドラル大聖堂」を、そして氏の「サントリーミュージアム」とケンブリッジ・セブンの「海遊館」を比較して紹介した。作品選択は私の主観による。壁にうがたれた十字架と天井に印された十字、建築という造形の持つ象徴性。そして海遊館とサントリーミュージアムに見ることができる、フォルムと色彩に関する明らかな歴史の差・・私は、今でも海遊館を見たときのショックが忘れられないでいる・・日本人には無い彫塑の感覚。

071サントリーと海遊館サントリーミュージアムと海遊館

さらに、大胆にも「フォートワース現代美術館」と前回紹介した谷口吉生氏の「法隆寺宝物館」もである。両者に共通するユニバーサルなデザイン・・ポストモダニストなど歯牙にもかけていない。谷口氏の土門拳美術館を知っている人にはなお、理解できるはずだ。

123フォート28 フォートワース現代美術館」137法隆寺 法隆寺宝物館

たった30~40年くらいで、1冊の本から出発して長屋の設計でデビューし、コンクリートに独自の美学を確立し、最近では(フォートワース)そのコンクリートをガラスのカーテンで覆った、コンクリートを凍結した・・。安藤氏は自身がいうとおり、今でもコンクリートと「真剣勝負」をし続けているのであろう、ミースがレンガ、レンガといい続けたように・・若い人達には、そこから建築に対する「真摯さ」を学んで欲しい・・。
そして、比較に出した作品ともども、本物の建築の「凄み」と「豊かさ」を・・。

・・私は学生に、どこまで、何を、伝えきれるか?

2008年06月01日

■教養のススメ
誰のためでもない記事なので、少し忙しいとさぼってしまった。高専の講師が始まったせいもある。
暫くその資料つくりに追われていた。しかし、本音は違う。精神性の無い業界団体に堕した感のある建築について、いろいろ書くのが疲れたからだろう・・と思う。
しかし、ニーチェ曰く、「人間には忘却という力がある」・・。少しその煩わしさから開放されてきたころ、気休めに・・と思って、過日、芸大でやっている「バウハウス展」を見てきた。
080503_1529~0001

ワルター・グロピウス、近代の始まり、ミースがナチから守った建築の精神。
全てのデザインの分野において、教える側も学ぶ側も時代に立ち向かった精神の高さ・・。
あまりにも乖離している今の設計の現状を考えると憂鬱になって、博物館でやっている薬師寺の日光菩薩・月光菩薩を見ようと外へでた。もうすでに午後4時をまわっている。

急ぎ博物館に入ったら、ふと、以前から見逃していた谷口吉生氏設計の「東京国立博物館法隆寺宝物館」を見ようと気持ちが変わった。わざわざ奈良から来ている二人のLADYには申し訳ないと思ったのだが・・。
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瀟洒で美しい・・。瀟洒といった、正確ではない、理知である、知性である。大人の教養と建築への作家のいとおしさまでを感じさせてくれる。静かに聞こえる哲学がある、饒舌ではない品のよい教養がある。今、私たちが見失おうとしているもの・・。

今、設計事務所は市場原理優先が声高い。有名雑誌まで設計事務所の「格差」論をつい先日記事にしたばかりだ。強者が弱者を牽引するという以前の指導者の強引な論理によってこの「格差」が生まれたわけだが、我々もミーハーのようにそれを支持したことになる。結果、まさしく強者と弱者が、格差が設計の世界にも生まれつつある。仕方がないことだが、所長といわれる人たちはマネジメント論に夢中だ。
これでは、若い人は育たない。経済という現実論で建築世界を覆っては建築はただの商業主義デザインだけが残ってしまうことになる。消費だけを目的にする一部のハウスメーカーと大差ない。
建築を目指す若い人達は、黙って口から泡を飛ばして議論する我々大人たちを冷静に見ているがよい と思う。苦しいから騒々しいのだから、騒ぐのだから。そして、その中から自身の教養と哲学を身に付けて欲しい・・。

混乱の時代にふんどし一丁(福翁自伝に書いてあったと思う)で「学問のススメ」を福沢諭吉は書いた。病の中から正岡子規は後世のための珠玉の作品を残した。
苦しむ病人は、生きようとして必ず免疫を醸成し始めている・・そこにこの苦しみから脱却する次の時代の建築の教養と哲学の元素が見つかると期待している・・。
バウハウスも苦しんだ末、コルとミースとライトという私達の先達(ペーター・ベーレンス著:近代建築の巨匠 に詳しい)を、そしてその流れでルイス・カーン(ルイ・カーンともいう)の哲学を生んだように・・。

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